独り言日誌

独り言を箇条書し文章練習に使用

10/3

会社にいるときは考え方が狭まってしまう気がする。社内ではあまり人と話さないこともあり喋ることによって気分がラクになったり、色々な発想がうかんできたりするので、人と話したり声を出したりするのはとても重要なことだと思う。家だと自由なので自由な発想ができるのでいい気が楽だ。
一つのことに対して深く考えることはとても重要だということが最近学んだ。でも自分自身でそんなに一つのことに対して深く考えてよいのかよくわからなくなる。いや今がとても精神不安定の状態だからこんな感じに弱気なことを言っている可能性もある。改めて眠っていなくて睡眠が足りないとき、会社から帰ってきて精神的に疲れているとき、仕事が終わったときは体力と精神力が共に奪われており大分考えが纏まっていないことが理解できる。会社という環境は常に自分が否定されているような錯覚に陥る。いやいやお金の為に仕方なく働いていることも有り、そもそも働きたくないのにいるという事でまず否定的になる。更に周りの人間や特に馬が合わない先輩などは自分のことを目の敵にしているように思え否定されているような錯覚に陥る。
どんどん自分らしさをたもてなくて、自分を失っていくように思える。やはり一度こうやって文章にだしてみると今の自分がどんなことを考えて何を不安に思っているか具体的にわかるのでとても良いかもしれない。改めて毎日文章を書く大切さを実感したかもしれない。
自分を否定せずに常に自分に自身をもたせるにはどうすればよいか、それは周りと違うことをしてそれでも周りの反発をおしきり流されない姿勢を通せば自ずと自分に自身がつく。やはりナンパをするしかないのかと、改めて思ってしまう。
俺が自分の自信を取り戻すためにやってきたことは周りとは違うことをして差別化を図ること。例えばFXをして稼いだり。副業を探して稼ぐ。ナンパをして女の子とエッチする。など、思い返せば会社の人から見れば何やってんだよ?ふざけんな?ずるいだろ。と思われるようなことを選んで優越感に浸りたかったのかもしれない。会社の人たちとはだからプライベートでは話が殆ど会わないと思う。みんな真面目だ、真面目ではないか、言い方は悪いが余り面白みがない。正直ナンパ師の人たちや一緒に麻雀を打っていた雀鬼会のメンバーといるときが俺の人生で一番楽しかったかもしれない。あとは自営業をしている人たちと相席屋に行ったりしたときだろうか。彼らはひるまない。世間の常識と言うものが一番嫌いだろう。自分に芯があるので一緒にいて自分にもとても勇気を分けてもらえる。相手に別に嫌われてもいいやという行動をとったりそういう話し方だったりなので話していて面白い。会社の人間や普段の友達などだと俺が少しでも変なことをするとする、例えば道端の女の子に声を掛けたりなど、それに対して「何やってんだ?常識的考えておかしいだろ、やめろよそんな非常識なことするのは」というような事をいってくるだろう。正直気分も下がるしつまらない。また24時間ぶっ続けで麻雀を打ち続けたりなど、「一体そんな事してなんの意味があるの?」など言われるだけだし、そういう馬鹿なことにも付き合ってくれないだろう。まあそれは常識的に考えていいんだろうけど。ようするに一緒に馬鹿なことをして盛り上がれる人間が周りにいてほしかっただけだと思う。そんな人間が普段の生活環境の会社にもいないし、もちろん親族や家族にもいないし、学生時代から付き合ってきた友達にも余りいなかった。だから外にでて探したり。インターネット通じて知り合った。